何らかの事件に関するニュースでは、その事件の犯人の人柄について知り合いが語っている特徴に“真面目な人”というものが取り上げられていることがあります。

『なぜ、知人から真面目だと思われている人が事件を起こしたのだろうか?』という疑問について心理的な観点から考察したいと思います。


実は、周囲の人達からは真面目だという評価をされているのに犯罪を犯す人は、セルフコントールが低い可能性があります。
この記事は、犯罪の加害者になったがこれから人生を立て直したいと考えている方、家族や恋人が犯罪者になったが、本人が犯罪をしたことが信じられないという思いを抱えておられる方に読んで頂きたい内容です。

犯人の印象が “真面目な人”になる理由

周囲から『真面目』だという評価を受けているけど、それ以外の心理的な特徴はあまり認識されていない人はいませんか?
学校の中や職場で、真面目だということはわかっているけど、それ以外はその人を表現する言葉が思い浮かばないという人です。

勉強を頑張っていたり、仕事を黙々とこなしているけど、積極的に他人と会話をしない人は、周囲の人から真面目だとは認識されていても、それ以外の印象を持たれないことがあります。
そのような人の多くは、自分に与えられた課題にしっかりと向き合っていたり、ルールを守って生活をしているという意味で、社会に適応できる人であると言えます。

環境によって言動のギャップが大きい人

しかし、真面目な本当にまじめな一面を持っているのも確かだけど、何らかの理由で自分の本音を表現したり、自分の生活の中で上手く満たすことができず、不満を抑圧してしまっている人がいるのも事実です。

そういう人たちは、自分の気持ちを表現することは苦手なので、公の場では大人しい人、物静かな人として見られることが多いです。

大人しく、物静かでいることが自分にとって楽で、表現したいことや人と関りたいという思いを抑え込んでいるわけではないという人は、クラスや職場と
いった公の場でも、家庭や身近な友人との関係といった小さなコミュニティの中でも、その人の言動にギャップはありません。

しかし、自分の思いを抑圧することで大人しい、物静かだと思われている人は、家族や友人との関係では、激しい感情表現をすることが多かったりします。

そのような人は、自分の本音を抑圧しているため、抑圧することが必要ない相手や他人に感情をぶつけても良いと認識した場面では、激しい言動に出る
ことがあります。
その中には、抑圧している思いが犯罪という行為につながってしまう人もいることが、犯罪を犯した人が真面目な人だったという印象を持たれている要因だと思います。

抑圧はセルフコントロール能力を低下させる

“真面目な人”というと、自分の欲求を抑えてやるべきことに向き合っているというイメージがあり、実際に犯罪をした人で周囲の人から真面目だという評価をされている人は、仕事にしっかりと取り組んでいるから真面目だと思われているという傾向もあります。

真面目な人は自分をコントロールできているという印象かもしれませんが、欲求の抑圧によってやらなければならないことをしているだけでは、自分のことをコントロールできているとは言えないのです。

本当のコントロールとは、欲求を抑えるだけでなく、適度に満たすための行動を選択できることであったり、受け入れなければならない現実を『しかたがない』と受け入れることができることを含めたものです。

“真面目な人”は、抑圧で自分をコントロールしようとして、本当は歩表現したいことや実行したいことを抑え込んでいるため、人によってはそれが犯罪という形で発散されているように感じます。

無差別事件と抑圧された感情の矛先

抑圧された思いというものは、『今、この瞬間』に発生したものではなく、過去の人間関係や出来事の影響を受けて生じたものであることが多いので、その思いが解放される時間や場所、そして対象者は今持っている感情が生まれる原因ではないということになります。

自分の本音を抑圧していて、その思いを不適切な時間と場所で、不適切な相手に向けることは、犯罪を生む恐れがあるのです。
犯罪にならなくても、相手を理不尽な理由で傷つけたり、負担を負わせることになってしまいます。

犯人とは何ら関係性のない人が危害に合うという無差別事件が起きる背景には、抑圧された思いが、その人の中で歪んだ上で、不適切な時間と場所で不適切な相手に向けられた結果であると考えています。

その上で、真面目に物事に取り組む一面を持ちつつも、本音を抑圧する習慣が大人しく、物静かに見える人物像となっていた人が、抑圧していた思いを
不適切に行動がした時、犯罪につながているケースがあるのだと思います。